2011年9月23日金曜日

岡田塩倉池の畔にある津島様の例祭が行われました

各地に、津島様がありますが、塩倉池の畔の津島さまは、塩倉、神沢、東区矢諸地区が一緒に毎年例祭をとりおこなっています。今年の例祭は、9/23に盛大に盛り上がりました。
 


明治初年頃に愛知の津島神社から、勧請(分霊)を受けた社は、総本社の「津島天王社」から「津島神社」の改名と一緒に、「津島天王」から「津島様」と変わって、今に至っているといいます。

また、周辺は、「行人塚」と呼ばれ、行人すなわち修験道(しゅげんどう)者が埋葬され、仏になった塚の地名が、元禄年代(1700)の文献から伺えるということです。

慶長年間(1600)江戸初期から約60年かかって作られた塩倉池の淵の「行人塚」に、「津島様」が奉られたということです。 (注:塩倉池はせき止めて池を作った可能性が高く、土は行人塚へは盛り上げなかったようですので内容を修正しました。2011/9/26)

今年は、34名もの大勢の人たちが集まって、盛大に「津島様」を祝ったそうです。
この例祭、皆さんもぜひ来年は参加しませんか。池の畔で、歴史を偲んで盛り上がるのも楽しいものです。

2011年9月15日木曜日

善光寺街道、刈谷原峠と荒神尾城を巡るウォーキング

■日 時 10月10日(祝) 8:30~16:00
■コース Aコース 岡田出張所~刈谷原峠~化石館
Bコース 岡田出張所~刈谷原峠~荒神尾城~化石館
Cコース 化石館~刈谷原峠~荒神尾城~化石館
■集 合 A・Bコース 岡田出張所、Cコース化石館
■参加費 500円(昼食うどん代、傷害保険代、史跡マップ、運営経費代)
■持ち物 おにぎり、飲み物、雨具など
■申 込 岡田公民館46-2313、本郷公民館、四賀公民館

2011年9月11日日曜日

観音様、弘法様の仏像のある海福寺の観音堂の修復をしました

岡田塩倉の中心にある海福寺をご存知ですか。

平成19年9月29日~平成19年11月11日に市制100周年に行われた、松本平の仏像・神像「100体」を参集して、皆さんに見ていただいたあの「松本平の神仏 百柱をたてる  空即是色*千住博」の展示で、ひときはその美しくバランスのとれた姿が目立った海福寺の観音様。

その観音様と、弘法様の2体の仏像をもつ塩倉海福寺、松本三十三番札所第二十六番として認知されており、時には皆さんの訪問を受けています。また、脇にある枝垂れ桜は、市内でも有数の桜の美しさを際立たしています。

昔から、塩の道に君臨し、伝承では2回と言われている移転を経て、現在の場所に観音様は寛政年間(1790代)に設置され、また弘法様の仏像は天保6年(1835年)に設置されたと記録されています。

この海福寺の建物が、シロアリで土台の腐りが見られましたので、今回土台の修復を行い、きれいに磨いて、少し化粧直しして、新しい歴史の第一歩素歩み出しました。今回の発見で、弘法様の安置ケースに、明治7年庚戌という表記(1874年)が発見されました。天保6年の創設から、明治のはじめに修理が為されたことが伺えます。あるいは廃仏毀釈から復元されたのかもしれません。

十年ぐらい前までは、毎年1月に御開帳を行い、お祭りを行い、ダルマさんの販売を行って隠れた名所と皆さんによろこばれていましたが、管理する人たちの老齢化で、管理が難しくなって、休止状態になっています。各所から復活のご意見をいただき、地区の若い人達が、復活を目指して準備しているようです。

早くの復活を期待するところです。



岡田の里敬老祭




 岡田の里敬老祭。100歳を超える方がおひとり、白寿の方がお二人、米寿の方が七人、喜寿の方が四人おいででした。おめでとうございます。岡田太鼓連がアトラクションで四曲披露。終わった後、入所者の皆さんと太鼓をたたきながら交流会。



2011年9月4日日曜日

塩倉地区でAED勉強会を行いました

9/4は、岡田地区球技大会でした。あいにくの台風で、屋外の競技が中止になってしまいました。

塩倉地区は50戸の小さな町会です。屋外スポーツにはエントリーしてましたが、中止で、屋内スポーツは、残念ながら、最初から、選手を集められず、参加できませんでした。

小さい町会ですから、他の大きい町会と対抗して競技をしたいんですが、なかなか高いレベルで対応が難しいんです。おわかりいただけますよね。

そこで、塩倉公民館で、この球技大会に合わせて、球技大会が終了した後で、塩倉地区独自の企画をたてました。

塩倉地区の住民で若いメンバーが得意とする、「フットサル」を公民館・町会が一緒になってバックアップしてゆこうと、デモ試合を計画しました。更に、最近耳にする機会が多くなった、「AED」をみんなが理解して万一のために備えようという、勉強会の実施です。

あいにくの台風で、フットサルはできませんでしたが、AEDの勉強会は、20人以上の方が集まって、1.5時間にわたって、しっかり勉強しました。

AEDは耳にする事が多いですが、一般の方はほとんどの方が知らないですよね。AEDとは、簡単に言うと、心停止のような状況の人を、コンピューターによって心臓のリズムを調べ、電気ショックが必要かどうかを判断し、必要な場合には電気ショックを加える機械です。各所に設置が進んでいます。

今回、塩倉地区が、AEDの、市役所の貸し出し第1号ということでお借りして、その扱いを学びました。
小さい地区ですが、それゆえ、まとまりが良いんです。地区での集まりをどんどん企画して、公民館活動を積極的に取り組んで行こうと公民館の役員は頑張っています。

2011年9月1日木曜日

ちょが池(稚児池)

ちょが池(稚児池)
 むかし、岡田の伊深に、暮らしはまずしかったが、大層親切なお爺さんが住んでいました。
 ある日、お爺さんが外へ出ると、幼子が泣いていて、そのそばに母親が倒れていました。
 「これは大変だ」
 驚いたお爺さんは、やっとのことで母親を家まで連れてきました。母親は苦しげに、
 「すみません。善光寺詣りへ行く途中ですが、疲れが重なって、ここまでくると目まいがして、倒れてしまいました。お世話をかけてすみません」
と、礼をいいました。
 「いえいえ、こんなむさ苦しいところで良かったら、体が しっかりするまで、いく日でも泊まっていっておくれ」
お爺さんは笑顔で答えました。 
 一夜明けた朝のことでした。
 「お爺さん、池へ連れていって、神さまが、お母さんのお薬を下さるって」
女の子の夢のお告げをきいて、
「これは、女の子の母を思う気持ちが、神さまに通じたのだ。お椀やお膳のように神さまが心配して下さるに違いない」
とお爺さんは思い、すぐに女の子の手をひいて池へ急ぎました。池のふちには、女の子が夢の中で見たと同じ薬の袋が置いてありました。女の子とお爺さんは、池からとびかえり、母親に飲ませました。すると、母親の病気は、めきめきと良くなり、三日たつと、元の体に戻りました。母親と女の子はお礼を言って、善光寺へと旅立って行きました。
 それから後、この池は『ちょが池』と呼ばれ、今では近くの人達が祠を建てて、大事に祀っています。
(語りつぐ民話  高田充也 作)

この話は伊深に伝わる民話です。現在は祠も無く、『稚児の池権現』の石碑が建てられ、近所の心ある人たちがお参りをしている。

まちづくり委員会 民話部会


8月29日岡田公民館において、長野県元気づくり支援金事業「先人のいきざまを後世に伝える事業で、民話作家の高田充也先生を招いての2日目の講演会を開催しました。岡田地区をはじめ東山部には多くの民話が残っています。岡田に関連したものでいえば、六助池の狐、商人石、ちょが池の話などがあります。部会では一回目の聞き取り調査を終え、資料を整理し2回目の調査を行い、民話を書き下ろしていく予定です。